まさおです。今回は雑談記事にします。
私は何かと気が利かないし空気が読めない人間です。まあ今まで特に不自由していなかったのでそのままにしていたのですが社会人になってから指摘されて急に意識しだしたものです。例えば人との距離感が近いだの、相手のことを考えていないだの、視野が狭いだのけっこう言われてきました。言われたときは深く考えず「はい。すいません。」とだけ言って適当にやりすごしていました。今思うと生意気ですねww
さて、指摘されて少し時間がたってくると急に気になりだすわけです。「あれあかんかったんか・・・」と。
その後はそれとなく普段の言動を改めようとしてきました。良い効果もあれば副作用的な効果もありました。その方法を紹介します。
・はっきりとした口調で話すようにした
これはオドオドとした口調を指摘されたことがあったからです。昔は「あ~、そうですね。」みたいに「あ~」とか「え~」とかが文頭に弱弱しく入っていました。それを嫌っている人がいたと人づてに聞いたので改めました。「はい。そうですね。」といったふうにね。少し大きな声で明るめのトーンで発声するのがミソです。
(実践した結果)
性格が明るくなったって言われるようになりました。あと職場で他の人から話しかけてもらいやすくなった・・・気がします。弱弱しく話すよりはてきぱきと話した方が聞こえがいいでしょう。
(副作用)
口調が強いとか淡々として怖いとか言われるようになりました・・・。どないせいっちゅうねん!!
・人と接するとき深入りしないようにした
これも悪い癖なのでしょう。打ち解けると調子に乗って馴れ馴れしくしてしまうんですよね。けっこうグイグイ行って相手を怖がらせたことがあります。これを改善するにはどうしたらよいか。そう、こちらからアプローチせずにいたらいいんです。自分から会話は広げない、話しかけない、そうすれば人から馴れ馴れしい人と言われずにすむでしょう。相手からグイグイ来ればそれにのっかればいいんです。そしてある程度打ち解けてから少しずつ深い話をしていけばいい。自分からは浅く、社交辞令的な会話しか仕掛けません。要するに何考えているかわからない人って言われない程度に接すればある程度の人間関係をキープしつつ距離感を保てる人間を演出できるでしょう。
(実践した結果)
無難な人間関係を築きやすくなりました。仕事をする上で事務的な話をしやすくなったので職場での人間関係はある程度よくなったでしょう。
(副作用)
プライベートで会う関係を築かなくなりました。そりゃあそうですよね。自分から積極的に打ち解けないんですから。馴れ馴れしいと言われなくなった(影では言われているかも)のでよかったのですが、結局「馴れ馴れしい」と評価をした人に合わせただけで人生が充実するようになったかと言われたらNOです。
※人との距離感を見極めれないという根本的な問題を解決する方法は今でもわかりません。一生かかってもわからないでしょう。
・周囲の観察をするようになった
今までは独りよがりな価値観で行動することが多かったですが、少し立ち止まって周囲を見渡し、何をすべきかを考えただけで大分周囲の評価って変わりますよ。実際に行動に移せば以前とのギャップで好感度アップ間違いなし!
(実践した結果)
好感度が上がった。以前の好感度が低すぎただけで相対的に良く見えているだけです。たぶん絶対評価にしたら確実に平均よりは下でしょう。
(副作用)
自分に対して「気が利かない」と言ってきた奴が自分にとって「気が利かない言動」を見せると殺意がわくようになりました。まあ独りよがりが増幅されたという感じです。あとそういう人に気を遣うのが馬鹿らしく思えて結局以前のように戻りがちになります。
最終的にどうなったか
結果は・・・疲れました。しんどい。
意識して言動を変えるのはしんどいですよ、以外と。あと「気が利いていない」って指摘された部分だけ改善しても他の部分を指摘されて泥沼化するんですよね。それに改善した言動も誰かにとっては「気が利かない」ってなってドツボにはまります。
そして徐々に元の言動に戻りました。ただし、指摘された部分がある程度改善された状態でです。
試行錯誤の結果、意識しなくても多少の「気遣い」ができるようになり、「気が利かない」とは言われなくなりました。(呆れられているだけかもしれませんが。)
人間関係の距離感はある程度引いて、周囲を見渡し、てきぱきと話す。それが改善前の言動に加わったことで、自慢じゃないですが職場での評判は良くなりました。
(たまに話し方がきついと言われますが・・・。)
全員にとって「気が利く」人を目指すのは無理。目指したら確実に疲弊する。「気が利かない」っていう指摘は最低限受け止める必要はあるが、必要以上に自分を捻じ曲げなくていい。ある程度改善できて大勢を不快にさせなければそれでいい。
それがたどりついた結論です。
結局自分が傷つかないように「気遣い」をしているんでしょうね、私は。今でも本当の「気遣い」がわからないままです。わかる日が来るといいのですが。